上達方法(メンタル)

勝ち組のメンタルとは

何気ない日常の感覚が負けにつながる

麻雀で強くなりたいと考えるなら日常と異なる感覚を身につける必要がある。

麻雀に限らず、ギャンブル的な要素の強いゲームであればどれにもいえることだが、日常では味わえないような運の偏りによって思考能力が翻弄され、正常な判断が極めて難しくなる場面がたびたび訪れる。

麻雀では、リーチが10回連続であがれたり、逆に10回連続で和了れずに振り込むことなんてことはざらに起こる。

このとき、プレイヤーである我々の感覚は日常で慣らされた「通常」の範囲から大きく逸脱した状況に対応できず、正常な判断力を失う。

我々は頭で、「リーチをかけたら"半分くらいは"あがれる」とわかっていても、その半分というのが「10回連続で和了れたり10回連続で和了れなかったりの繰り返しによって平均で50%くらいなのだ」、ということまでは実感できていない。

どちらかというと、和了れる和了れないを交互に繰り返していくようなイメージを持っているはずだ。

だから、10回連続で上がれなければ「そろそろ上がれてもいいはず」と思ってしまうのである。

こういった感覚は大きな間違いで、麻雀などのギャンブルにおいては判断を狂わす元凶となるものだ。

これは心理学で"錯覚"といわれており、すべての人間に共通して起こる現象だ。

つまり、人間の日常感覚をそのまま麻雀に持ち込むと、意識しない限り「錯覚」によって確実に負け組みの道を進んでしまうというわけだ。

勝ち組雀士のメンタルとは
勝ち組雀士のメンタルの特徴をあげよう。
・現実的である。
・不運をいちいち嘆かない。
・幸運にいちいち浮かれない。
・勝ち負けに一喜一憂しない。

勝ち組雀士のメンタルは、極めて現実的で、感情がコントロールできる(あるいは起伏が少ない)状態にある。

このことが、押し引き判断の正確さにつながり、不調で崩れず、好調で乱れない強さを生み出すのだ。

こういったメンタルは数多くの経験によって形成されるものであるが、一方でいくら経験を積んでも習得できない者もいる。

その差は、麻雀というゲームが持つ「運」あるいは「確率」といったものの特性をどれくらい深く理解し、それに適応しようとしているかによって生じているように思える。



"最強クラス雀士の感覚"諦観"を身に付けよ

勝ち組の中の勝ち組、麻雀で生活しているような人達の考え方は更に一歩先にある。
その考え方を一言で表わすなら"諦観"だ。
麻雀で強くなりたくてしょうがない頃というのは皆麻雀に対して夢をもっているものだ。
その夢というのは例えば麻雀漫画のキャラクターのように、強運を身につけるとか、山の牌が読めるようになるとか、
流れを引き寄せて一発ツモを連発するとか、常人に不可能な能力を身につけて圧勝するような、いつの日かそんな力を身につけられるという夢だ。
その日が来ることを夢みて皆修練に励んでいるのである。そしてたまにはそんな風に圧倒的に勝てることもある。
もしかしたらついに、、と思った頃にはまた負けている。そんな日々を繰り返しているだろう。
残念ながら、やればやるほどに、麻雀の強さというのが、いや麻雀そのものが、そういった理想とは違うことが分かってくる。
麻雀の強さというものは、、特に目立った何かはないのに、それでいながら圧力を持っていて、なぜか場や展開を味方につけていることが多く、他の人よりわずかばかり引きが強いように見え、そして攻めあえば勝っていることが多く、負けていればなぜか逆転してくる。そして最終的には勝っている。そんなすごく地味な力だということに気づく。

その地味な力の源泉は人並み外れた派手な何かから来るのではなく、人より少しだけ優った場況の読みであり、押し引きであり、手作りであり、忍耐強さ、そういったものの総合力なのである。



邪魔な思い込みや感覚を捨てる
"諦観"とは、何千、何万回も麻雀を打つなかで、麻雀が持つ運や確率、できることできないことの"現実"を否応なく見せ付けられ、麻雀漫画のような奇跡や、人外の一点読みや、流れのコントロールなどをスッパリ諦めることで身につけられるものにほかならない。
麻雀漫画のような雀士を夢見ていた人たちから見れば、いわば夢も希望もない麻雀と言える。
そもそも麻雀をやる動機がそういう最強雀士だというのなら、彼らが麻雀を続ける理由はないだろうから"諦観"を身につける前にやめてしまうだろう。
"諦観"が誰にでも身につけられるものでないと述べたのはこういう理由からである。

"諦観"の先にあるもの
それでは"諦観"に到達した雀士は麻雀にどのような楽しみを持ってやっているのだろうか。
このレベルになると、基本的には楽しみなど無い。
運不運に対してのスタンスは常に無関心だし(それでもその雀士の諦観のレベルにより、その雀士の限界を超える不運に襲われれば持ちこたえられずに崩れる。)、
注意力を高めてミスを減らすことに神経を集中するので疲れるし、少しでも手を抜こうものならたちまちのうちに負けが込んで転落するのだから本当に厳しい世界だ。
こんなお金にもならない世界でプロスポーツ選手並みのセルフコントロールが必要とは全くわりに合わないと考えるのが普通だ。
このつまらない修行に明け暮れる雀士達にに一定の明確な居場所を与えたのがオンライン麻雀の"天鳳"だ。
この中で高段位に上り詰めた人には、惜しみのない賞賛が与えられる。プロ界に進出して稼いでいる人もいたり、10万人以上が観戦する場で対局料をもらって打っている人もいれば、天鳳発の麻雀攻略本を書いたり、さまさまな新しい技術論が生まれてたりしている。
こういう新しい動きもあり、強者像というのは確実に変化している。地味だけどじわりじわりと押されるような強さ。そんなが強さが認められるようになってきているのだ。
近代麻雀という雑誌の最近の漫画では、このような"地味な強者"が主流になってきている。
昔の麻雀漫画の主人公のような強さを手に入れる夢物語は崩れたかもしれない。しかし新しい強さを目指し、強者達は今も麻雀界の最先端で地味〜な修行を続けている。



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