牌効率の考え方
■牌効率という用語に注意
まず、気をつけておいてもらいたいのは「牌効率」という言葉の意味についてである。
戦術書やサイトを見ていると分かると思うが、それぞれの書き手によって「牌効率」という言葉の意味が微妙に違っている。
字面のまま、手牌のシャンテン数を最短で下げるための(テンパイまでは最短)技術という意味で使っている人もいれば、
より広義な意味で、和了までの可能性を高める技術という意味で使っている人もいる。
そして、これらの人たちが「牌効率はどれくらい大事か?」だとか、「牌効率がどれくらいできているか?」といった議題でディスカッションすると、たいていの場合噛み合わないものとなる。
それは当然のことで、言葉というのは核となる概念の周囲にいくつもの類似概念が備わっているものなので、(辞書を引いた経験は誰にでもあると思うが、そこには似ているが微妙に異なる意味が複数書いていたことを覚えているだろう。)少なくともキーとなる用語の定義をセットすることからはじめなければいけないのである。
こういったキーとなる「用語」の定義を決めないままにディスカッションを始める人は、自分が不利になったときに定義のすり替えで逃げる余地を残したい人である(意識的か無意識的かに関わらず)。つまり、意見のようなものは主張したいが、反論などに対してはまともにディスカッションをする気がない証拠といえる。「流れ」という用語が最たる例だろう。
当サイトでは用語についての解釈ははっきり言ってどちらでも良いと考えているが、分かりやすさを重視し、狭い意味で、字面のままの牌効率という意味で使用する。
■牌効率至上主義の罠
麻雀を覚えたての頃、真っ先に願うのは「もっと和了りたい」だろう。
そんな気持ちに分かりやすくこたえる技術が牌効率だ。
牌効率を覚えることで、和了率は上がっていくだろう。
ところが、ある程度頻出の牌効率を覚え終わると、和了率は頭打ちとなる。
和了率が20%→22%→23%と順調に上がっていたのが、23.4%→23.6%→23.65%と上昇ペースは緩やかになっていく。
ここで中の上くらいのレベルで停滞するプレイヤーの多くが陥るのが、牌効率至上主義だ。
牌効率について圧倒的に研究されたサイトがある。
現代麻雀技術論というサイトで、著者は元東大生のネマタさんという俊英だ。
一度ご覧になれば分かるが、その内容の緻密さにおいては他の追随を許さない内容になっている。
こういったサイトを見てしまうと、牌効率について自分がいかに無知で分かったつもりでいたのかが再認識させられる。
その認識自体は雀力を向上させるのに役立つのだが、気をつけなければいけないのはこれをマスターしなければ・・と牌効率にのめりこんでしまうことだ。
これをやってしまうと、万年五〜六段エレベーター組になってしまう恐れがある。正直に話そう。何を隠そう4年前の私である。
なぜ牌効率にのめりこんではいけないのか?
最も重要なのは場況
■牌効率より"場況"を優先する
牌効率がフルに使える場況は、オーラスのトップ争いやラス回避争いの時くらいだろう。
そんな状況ですら、オリることもまれにあるが。
牌効率上損でも、安牌を抱えるために複合形を先切りしてターツ固定するべき場面は非常に多く出現する。特に、手が悪いときや、リードしている時など。
また、場に3枚切られた牌のカンチャン待ちなどはメンツ完成が期待できないので切っていかなければいけない。
他家が染め手をやっているときなど、染め色の"高い色"は早めに切って"安い色"での構成を狙っていくのが定石となる。
自手を"安い色"で構成するのは攻撃面でも守備面でもメリットがある。
攻撃面では、他家の要らない色が待ちになるので、和了率が高くなる。守備面では、これまた他家の要らない色なので安全牌であることが多いのだ。
このように、場況の情報に従って、手牌を"先切り"や"安い色"により良い状態へコントロールしていくのが最重要ミッションである。
場況が軽視されている原因
ここ10年間で麻雀界ではデジタルな打ち方が市民権を得たように思う。
それには、当サイトで何度か紹介しているとつげき東北さんをはじめとした、統計・数理からの研究が大きく影響を与えていることはご存知だろう。
デジタルな打ち方を支持する人のメンタリティーは、合理を好み、不合理を嫌うというところがある。
このことが、これまで一部の指導者層により広められた不合理な価値観が支配的だった麻雀の世界を明るく切り開いたのである。
それと同時に、これまでの不合理を打破し、支配的な価値観の転倒を図る過程で、副産物として生まれたのが、「場況の軽視」である。
「合理を好み、不合理を嫌う」思想がやや行き過ぎ、「(現時点で)統計・数理研究が可能なものを好み、不可能なものを嫌う」という思想までが一部に普及してしまった。
その結果、将来的には労力次第可能であると思われ、麻雀の戦績に大きく影響を与える「場況」等の重要な要素であっても、現時点で研究が難しくなされていないものについては「考慮しない」ことが「デジタル」とされることが散見されるようになったのである。
言うまでもなく、これでは本末転倒である。
■牌効率を細部まで使っている暇はない
牌効率をもれなく使いたい人にとっては物足りないだろうが、大抵の局では牌効率をフル活用する前に他家の攻めや牌が場に出尽くす等、腰を折られることになる。
何度も述べていることだが、麻雀は守備が7割のゲームなので、攻撃できるのはわずか3割しかない。
牌効率は攻撃のための技術なので、少なくとも3割しか登場機会がない。
さらに、場に牌が枯れたり、他家の染め手があったりすると、その対応のために牌効率の原則は崩れることになり、まともに牌効率どおり打てるのはおそらくわずか1割程度だろう。
■牌効率はそこそこに、まずは場況判断を
やや、乱暴な言い方になるが、牌効率はそこそこにできていれば良い。
そこそこというのはどの程度かということになるが、特上卓で和了率を最大限に高めた打ち方をして23%(上級卓なら24%程度)に到達できるようであれば、牌効率は十分できているといえるだろう。
その数値に到達していない人はまだまだ牌効率について勉強する余地があるということだ。
牌効率は細部までこだわるとものすごく奥が深いので、短期間でマスターすることはほぼ不可能である。