強くならない雀士が陥りがちなカン違いとは
強くならない雀士によくみられるカン違いを紹介する。あなたは該当してはいないだろうか?
■Aもっと和了れると思っている。
麻雀はどれだけ上手くなっても、どれだけ頑張っても和了率はせいぜい24%程度。
さらに、メンツが全員強いと23%程度まで落ちる。
要するに、4回に一回もあがれないということ。
それ以上無理に和了ろうとすると、それは明らかに押しすぎとなり、和了率が上がらないばかりか、ただ放銃が増えるだけとなる。
天鳳でいうと、三段くらいから鳳凰位まで和了率はほとんど変わらない。むしろ下がるくらいである。
この数値は麻雀というゲームの変わらない「性質」であり、個人的な努力ではどうにもならない部分なので、肝に銘じておいたほうがいい。
■@たくさん高い手を和了ることが強いことだと思っている。
あなたが、「この人は強い」と直感的に思うのはどんな状況だろうか?
おそらく、たくさん高い手を和了りまくって、圧倒的に勝っている状況をみたときじゃないだろうか。
はっきり言うと、それは間違いである。
@で示したとおり、麻雀で和了れる確率はせいぜい24%。これは平均の値で、日によって50%だったり10%だったりする。
その日がたまたま50%あがれる日であれば誰だって大勝ちすることができる。
逆に、狙って大勝ちできることは「ない」。
大勝ちできる方法がないのに、大勝ちできる方法を夢見てしまうと、いわゆる「流れ」にたどり着いてしまう。
ちなみに文明の未発達なアフリカの奥地などでは、医者の知識がある者がいないので、代わりに魔術師がいて、風邪や病気は、「悪霊が取り付いている」せいとされ、魔術によって治療されるらしい。もし彼らが医療の知識を身に付けても魔術の治療を続けるのだろうか?
人間は分からないことに正面から向き合って解決するよりも、インチキで正当化するのが大好きなのだ。
■B当たり牌を読むことが強くなる道だと思っている。
当たり牌は読める場合もある。
ただし、ほとんどの場合は読めないか、ある程度絞れる程度でしかない。
当たり牌を読もうとする努力は一見、正しい努力で悪いことは何もなさそうだが、いわゆる"1点読み"など当たり牌を過剰に読もうとする雀士は、なぜか「当たり牌」だけを読もうとする人が多い。
なぜ彼らは「山に残っている牌」や「相手の手の高さや進行速度」やその他を読もうとしないのだろう?
彼らが"読もうとする"状況にも共通点がある。
それは"危ないのに攻めたいとき”だ。
他の読みは「メンドクサイ」のでやらないが、和了るのだけは大好きなので、相手からリーチなどがあった場合"だけ"、押す理由を作るために読みが行われる。
そして、数少ない成功例を都合よく成果として記憶し、全く効果が無いかむしろ逆効果な"読み"を正当化する。
そんな読みであればしないほうがはるかに上手くなる。
■C自分レベルならもっと勝てても良い(自分は運が悪い)と思っている。
95%くらいの確率で単に下手なだけである。
ルールや点数計算ができて、手捌きも上手く、"他のプレイヤーから明らかに指摘されるようなミス"をしないので、自分はもう学ぶことはそんなにない、と思っている人にこのカン違いがよく見られる。
卓を囲んでプレイする麻雀では、ほとんどの人が他のプレイヤーが何をどういうときに切ったかなんて覚えていないし、再現も出来ない。
後ろで見ている場合でも、気軽に見学している立場では場況までしっかり見ている人はほとんどいないだろうから、指摘できるまでに至らない。
よって、かなりのミスがあった場合でも指摘されることは少ないのである。
はっきり言って、麻雀なんて慣れてくればスピードも上がり誰だって"上手そう"には見える。
当然の選択なんて誰だってできる。当然の選択レベルのことができた程度で、勝ち組になれると思っているのが大甘、カン違いなのである。
大きな選択を間違えないのは大事だが当然で、細かい部分で有利な選択をいかに積み重ねられるかの勝負と覚えておいていただきたい。
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