上達は「仕方がない」を減らすこと

それって本当に「仕方がない」んですか?

我々は毎日多くの「仕方がない」を抱えて暮らしている。


欲しいものが買えない・・・けど仕方がない

好きな女と付き合えない・・けど仕方がない

めんどくさい仕事に行く・・けど仕方がない

あれができないのも仕方がない

これができないのも仕方がない


本当に仕方がなかったの?誰がやってもそうなの?本気でやってもそうなの?それできないとあなた死ぬよ?って言われてやってもそうなの?


本当に本当に仕方がなかったことなんて実はそんなにないんじゃないの?


上手く行かなかったことに対して、ああすれば良かったな次はこうしようとか、そういう考えはもたないの?


まあ、会話の中でおちゃらけて言ってるならいいとしてさ。本気で言っちゃってる人は重症ですよ。


仕方がない,できない症候群。






"麻雀にも蔓延する「仕方がない」病


ここでようやく麻雀の話になるけどさ。


例えば麻雀を教えてた人の中に、リーチに放銃した人がいたわけ。平場の子でさ巡目は終盤。


放銃した時点で2フーロしてて手牌は8枚、愚形含みの役のみのリャンシャンテンで、安牌はまだ2つあった。


そっから、無スジ切って放銃したんですよ。


「だって降りれないもん」って言うんですよ。


「降りれない」


???


意味が分からないのですが。


安牌2つありますよね?



「降りたほうがいいの?」とかなら分かるんだけれども。


「降りれない」はないわ〜 


不可能を表す助動詞が好きな人が多いみたいで。


きっと安心したいんでしょうね。


うまく行かない事があったとき、「こうすれば良かった」っていうのは、突き詰めると自分にミスがあったってことを意味するから。自分でそれを認める事になるから。そのことに耐えられないってわけだ。

「(どうやっても)無理だった」と思っておけば、少なくとも自分のミスではなかったと自分では納得できるからね。


まー人を死なせたとかになれば、誰だって仕方がなかったって思いたくもなると思うけどさ。


そんな重大なことを言ってる訳ではないんですよ。






冷静に考えれば、本人がどう思おうが、客観的にはミスはミスなわけで。


さっきの放銃の話だって、誰の目にもド下手なミスとしか映らないわけで。本人がいくら自分をかばってもね

結局何が言いたいのかと言えば、上達はその人の変化であって、変化のためには現状を否定することが必要なわけで。せっかくいい形で否定するチャンスがあるのに、その機会に目をつぶってしまうような小心者には上達の道は開けないってことです。


こういう人はこれからも言い続けるでしょう。


仕方ない。仕方なかった。できない。できるわけがない。



「上達すること」は「仕方がないこと」を減らすこと。


毎日訪れる「仕方がない」本当にそうか疑ってみてください。





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